イームズ。
この名前を聞けば、あのシンプルかつカラフルなチェアを思い浮かべられる方が多いのではないでしょうか。その高潔なまでの曲線美が後続のデザイナーたちへ与えた影響は計り知れず、今なお追随を許さない存在となっています。
そもそも「イームズ」とは、チャールズ・イームズとその愛妻レイの二人三脚によるデザイン事務所の名称であったと言うのはご存じでしょうか。チャールズ・イームズは1978年、妻レイは1988年に亡くなってから久しいにも関わらず、今なお世界中を魅了しています。そんな、イームズの魅力についてお伝えします。
チャールズイームズのデザインへの想い
チャールズ・イームズは1907年アメリカのセントルイスで生まれました。彼がまだ幼い時期に父を亡くし、その後は高校に通いながら製図見習いとして働きつつ奨学金を得てワシントン大学へ進学。しかし、近代芸術に熱を入れるあまりに教授陣と衝突することも多く、退学になってしまいます。学生生活はそんな結末で幕を閉じましたが、在学中に最初の妻と出会い、新婚旅行で訪れたヨーロッパで芸術への見聞を広めます。
アメリカへ帰還後、世界大恐慌の最中に建築事務所を立ち上げたものの経営はうまくいかず、メキシコ旅行などを経て新たな事務所を設立し、その時期に運命の女性となるレイと出会うことになります。レイが初めてチャールズをサポートした作品は、あのMOMA美術館のコンペで優勝。後にイームズデザインの要となる「成形合板」は、すでにここで取入れられていたのです。
チャールズは第二次世界大戦時に軍へ医療用の添木を提供しており、その添木の技術が後の成形合板の元となっています。やがて「よいものを、多くの人々に」と言う信念の元にチャールズとその妻となったレイ二人の目覚ましい活躍が始まり、そのデザイン性の高さをどこよりも高く評価したハーマン・ミラー社の強い協力を得ながら商業美術の歴史に残る数々の名作家具が生まれていきます。
イームズのデザインには欠かせない「成形合板」の技術
イームズ独特のデザインを再現するために、必要不可欠な技術があります。それが、先にも出た「成形合板」です。
成形合板は様々な芸術家から作品の素材として重宝され、世界中でその技術が取入れられていますが、日本で言えば天童木工がそのパイオニアと言えるでしょう。「成形合板」を作るには、厚さは最大でも1㎜という薄い木材を何枚も重ね合わせ、木の特性を読みながら型にはめてプレスしていき、何度も磨きをかけていくと言う高度な技術が必要不可欠です。その技があってこそ固い木材のはずなのに、柔らかさを感じさせることになり、しかも家具として使えるだけの強度を保つのです。
「固」を極限の技術で「柔」へと変えていく。これは利休の茶の湯の精神に通じる日本人特有の「おもてなし」の精神であり、「多くの人に良いものを」と言うイームズ夫妻の信念にも通ずる職人達の心意気があってこそ成せる技なのです。
家具以外での「イームズ」
イームズの家具というのは世界的によく知られていますが、あまりのスタイリッシュなデザイン性の高さ故に、時には排他的にさえ感じられるのかもしれませんが、一方「子どもたちが気軽に遊べる玩具を」というイームズ夫妻のあたたかいコンセプトの元に作られた「イームズエレファント」という作品もあります。
どこまでもまろやかな曲線なのに鋭角的な印象のある他のイームズのデザインとは一線を画しており、コロンと愛らしくかわいらしいフォルムですが、やはりどこか都会的であり署名やネームプレートなどがなくとも「イームズのデザインである」という刻印が押されているかのようです。イームズエレファントは以前、イームズ生誕100周年記念で限定制作されたもののあっという間に完売となっていたところ、最近各所からの要望を得てようやく新たに販売制作されています。
時代を越えて支持されるデザイン
極限まで不要なものをそぎ落とし、簡素化されているのに洗練された曲線。イームズの生み出す曲線は、空間までもがデザインの一部として計算されているようにさえ見えます。強化プラスチックなどの硬質な素材が多いのに、まろやかな曲線を描くイームズのチェアやテーブルはどれも時代を超えた普遍的な安定感があります。
優れたアーティストであるがゆえに、時に周囲と衝突する事もあったチャールズを優しくそっと支え続けたレイ。今なお多くの人から愛され続けているイームズのデザインは「多くの人によいものを提供したい」という信念の元、思うように時代を駆け抜けたチャールズとレイ二人が織りなす愛と研鑽の結晶であり、それを支え続けた人々の歴史なのです。