ティファニー・コーチ・ルイヴィトン…トップブランドの創業ストーリーからものづくりの原点を探る

ティファニー・コーチ・ルイヴィトン…トップブランドの創業ストーリーからものづくりの原点を探る


ティファニー・コーチ・ルイヴィトン・・・どれも、名前を聞くだけでどこか豪奢なイメージが浮かぶほどのトップブランドです。

当たり前のことですが、今や恐らくその名前を知らない人はいないと言えるほどの認知度を誇るこれらのトップブランドも、現在の地位を得るにいたったのは創業時にコツコツと実績を積み上げてきたからこそ。

今回は、豪華な逸品たちを支えている確かな技術力にも触れつつ、華麗なトップブランドの地位を得るに至るまでのエピソードをご紹介します。

 

トップブランド創業時のエピソード。あのブランドの原点はここにあった。

ティファニー

ティファニーは、オードリー・ヘップバーン主演の有名映画「ティファニーで朝食を」のタイトルにも使われています。みなさんご存知の通り、ティファニーは宝石店であり、食事をできる場所はありません。これは、主人公の言う「ティファニーで朝食を食べるご身分」という例え。映画タイトルにも採用されたように、ティファニーは、すべての女性が憧れるブランドとしての地位を不動のものにしました。

ティファニーがブロードウェイで創業されたのは、1837年のこと。創業者のチャールズ・ルイズ・ティファニーは、フランスの王室や貴族達から品質の良いダイヤモンドを仕入れ、アメリカへ地道に提供し続けました。その当時からキングオブダイヤモンドと称されるほどの実力を持ち合わせていたティファニーでしたが、銀やプラチナの純度にまつわるアメリカ国内の公式基準は、このティファニーのものが元となっています。これはつまり、ティファニーが宝飾界における品質基準を作り上げたということ。その影響力の大きさがわかりますね。

日本でも一世を風靡したネックレスであるオープンハートは、なんと1940年生まれのベストセラー商品です。シルバーやゴールドのタイプがあり、一時期とても流行ったデザイン。オープンハートはその名の通り「心を開いて」という意味が含まれており、まっすぐな想いを伝えたいときに渡してほしい、という願いが込められています。

出典:ティファニー公式サイト

バイザヤード(出典:ティファニー)

他にも、女性が自分へのご褒美に贈ると幸せになると噂のバイザヤードというネックレスがあります。この「バイザヤード(By The Yard)」というのは、「ヤード単位で」という意味。「世の中の女性が予算に応じてヤード単位でダイヤの大きさや数が選べるように」という想いが込められています。ティファニーのバイザヤードは、現代の一粒ダイヤネックレスのナンバーワンと言っても過言では無いでしょう。

ティファニー 公式ホームページ:http://www.tiffany.co.jp

 

コーチ

コーチは、品質の高い財布や鞄としても有名ですが、もともとは野球のグローブを作る会社でした。1941年に、創業者であるカーン夫妻と数名のみの小さな皮革工房としてマンハッタンで産声を上げたコーチは、「最高級のレザーで、美しく機能的でモダンな製品を作る」という思いのもと、化学薬品を使わず、手作業で丁寧にこつこつと丈夫な皮革商品を作り上げてきました。
野球グローブのように、しなやかで手に馴染む革製品を目指し続けた結果、創業から17年(1958年)で、時速140キロのボールを受けるミットと同程度の強度を誇る驚異のレザーを作りだし、皮革製品の質の高さでも一線を画す存在になりました。

この高品質レザーに、ファッション性の高さを追加したのが、”20世紀で最も成功したデザイナーの1人”とも言われているボニー・カシンでした。1962年にコーチのデザインを任された後、次々とヒット商品を生み続けたボニーでしたが、そのなかでもコーチのバッグの金具である「ドッグリーシュ」は今なお人気のデザインです。

ドッグリーシュ(出典:コーチ)

ドッグリーシュ(出典:コーチ

2001年にはアメリカ国内の権威ある評議会のアクセサリー部門でも最優秀賞を受賞し、皮革の品質からデザインまで、コーチの地位を安定したものに押し上げました。

コーチ 公式ホームページ:http://japan.coach.com/top/CSfTop.jsp

 

ルイヴィトン

ルイヴィトンは近年、草間彌生や村上隆とのコラボレーションや、先鋭的なデザインで世間を驚かす一方、定番のダミエやモノグラムのデザインでも長年人気を博しています。創業者である「ルイ・ヴィトン」は、父親の影響を受け、職人の道を志します。しかし、14歳のときに母親との仲の悪さから家出。ほとんどお金も持たずに、フランス・パリに向かい、トランク製造と荷造り職人の弟子として情熱を持って、どんな仕事にも真摯に取り組みました。

1854年に旅行用鞄の専門店として独立開業したルイヴィトンは、同時代のライフスタイルにあわせた新しいデザインを考案します。当時主流だった丸みを帯びた革の鞄は、新たに登場した蒸気機関車などの交通機関の発達にはそぐわないものになりつつあったので、軽くて丈夫なキャンバス地を用いた平らなトランクへとデザインを一新させたのです。旅行者にとっての使いやすさにとことんこだわったルイヴィトントランクは瞬く間に有名となり、ナポレオン三世の皇妃や王族達からオーダーが殺到する人気ブランドとなりました。その後、デザインも新たに追加され、1888年にダミエシリーズ、1896年にモノグラムシリーズが生まれます。

ダミエ(出典:ルイヴィトン)

ダミエ(出典:ルイヴィトン)

パリで始まったルイヴィトンですが、なんとダミエもモノグラムも日本に影響されて作られたデザインなのです。ダミエは日本の市松模様を基にしたと言われおり、そのどこか古風で洗練されたデザインで世界中で大ヒットしました。しかし、人気になるにつれてコピー製品で悩まされることになるのです。

そこでルイヴィトンは、数ある文化の中でも特に日本の「家紋」に目を付け、「複雑な柄を描けばコピーを防げるのではないか」という考えに辿り着きます。家紋のように模倣が難しいデザインの開発を進めた結果、モノグラムシリーズが完成したのです。このデザインが消極的なブランド保護策ではなく、新たなブランディングのための攻めのデザインであったということは、今もなおこのシリーズがルイヴィトンの代名詞として愛され続けているということからも明らかですね。

ルイ・ヴィトン 公式ホームページ:http://jp.louisvuitton.com/jpn-jp/homepage

 

エルメス

セレブ達の証とも言える、エルメスバーキンケリー。一般庶民にはなかなか手が届かない、鞄やアクセサリーの超高級ブランドというイメージがありますが、もともとエルメスはヨーロッパの王侯や貴族御用達の馬具ブランドでした。

創業者はティエリ・エルメス。創業以前から馬具職人として腕を磨き、1837年にパリのランパール通りの職人街に高級馬具工房をオープンさせました。ロシア皇帝御用達の馬具商となって発展し、数々の賞も受賞しました。しかし、時代の流れのなかで人々の移動手段が馬車から自動車へと変わって行くのにあわせて、徐々に鞄製造へと主力商品をシフトしていきました。

サック・オータクロア(出典:エルメスのバッグ)

サック・オータクロア(出典:エルメスのバッグ)

そこでつくられた鞄が「サック・オータクロア」。もともとは馬具を収納するための鞄を、一般的なかたちに転用させました。さらに、サック・オータクロアは後のバーキンのデザインのもとになったといいます。しかし、エルメスのものづくりへのこだわりは馬具作りの技術を活用するだけには留まらず、世界で初めてファスナー付きの鞄を開発するという功績を残しています。当時すでにファスナーの技術は存在していたものの、鞄にその技術を利用するというのは前例の無いアイデアだったのです。

「伝統と革新」。一見すると相反するこの言葉の組み合わせは、エルメスを表すのに一番相応しい言葉と言えるのはないでしょうか。世界中が注目するエルメスの職人達の高い技術は、様々な伝説や逸話とともに多く語り継がれており、2011年には映画化もされています。映画の名前は「Hearts and Crafts(ハート&クラフト)」。馬具を突き詰める職人たちのドキュメンタリー映画となっています。

エルメス 公式ホームページ:http://www.maisonhermes.jp

 

良いものを追求する精神と、移ろわない美しさがトップブランドの条件

top6

今回ご紹介したのは、いずれも世界的に有名なハイブランドばかりです。なかなか気軽に購入できるものではありませんが、その値段にふさわしい質の高さと時代が変わっても移ろわない美しさを持っています。

そんなブランドのバッグや宝石等を購入した親が、それを子どもへ譲り、代々長く愛用されているという話を聞く事も少なくありません。当たり前のことですが、いずれのブランドも最初は知名度の無い状態からスタートを切っています。時の権力者や有識者から高い評価を受けた彼らのものづくりへの態度が、やがて誰もが知るトップブランドへと成長する一番の理由だったのです。

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