Provenance Drums(プロヴェナンス・ドラムス)は、イギリスのロンドン郊外・ブライトンに本拠を於くスネアドラムのメーカー。ロールス・ロイス車、ベントレー車、100年以上の歴史が継がれてきたウィスキー樽、空母、豪華客船など、ありとあらゆる「由緒ある」独特の来歴豊かな素材を使用して楽器制作を続けています。その唯一無二なものづくりについて、主宰のティム・ブロートンに話を聞きました。
—楽器と言えば、決まった木材や金属の素材でつくられるものという固定概念があります。高級車や豪華客船や空母にウィスキー樽など、あまりにも楽器とかけ離れたものからスネアドラムをつくろうと思ったきっかけは?
僕は子どものころから戦隊が大好きで、僕が幼少期の1960年代のイギリスでは毎週日曜日の午後に放送されていた戦争映画を観るのが大好きでした。戦車も戦闘機もどれも夢中で追っていたけれど、なかでも特にスピットファイア戦闘機(*1)の強さと美しさにすっかり魅了されてしまった。
その一方で、幼い頃からドラムにも夢中でした。僕自身の記憶にはありませんが、母親によると赤ん坊の頃からハイチェアに座らされたまま片手鍋とスプーンで演奏をしていたらしいです。僕自身が覚えている記憶といえば、12歳のときに初めて自分のドラムキットを入手したときの感動ですね。高等部2年(日本で言う中学1年)のときに吹奏楽部に入部し、それ以来現在に至るまで何十年もずっと、ドラム演奏に夢中です。
ところでドラム奏者なら分かると思うんですが、ドラムキット全体のなかでもスネアドラム(*2)というのは特別。ドラマーの音を決める重要な楽器で、演奏者にとっては特別な関係性をつくりあげる要の存在なんです。この特別な2つを組み合わせることを思い付きました。
スピットファイア戦闘機もスネアドラムも「ここしかない」という部分を攻めてくる強くて美しくて唯一無二の存在。持ち主と特別な関係性を築き上げていくモノであるという点でも重なります。考えるうちになんとしても特別な来歴の素材でスネアドラムをつくりたくなり、様々なひとに「どうしたらスピットファイア戦闘機を入手できるだろう?」と相談をしました。
London Drum Show(年に一度ロンドンで開催されるドラムの見本市)で接客するTim Broughton
—1台目の「由緒ある(= Provenance)ドラム」は、なにからつくったのですか?
戦闘機はさすがになかなか入手できないし、周りからも「他のものでつくってみたら?」と言われていたので、もう少し視野を広げて「或る役割を担ってこの世に生まれ、人々の特別な思いを載せてきたもの」を探すことにしました。
また現実的に考えると1台目の素材はアルミニウムがいいだろうと。鋳造でドラムのシェル(胴体)部分がつくりやすいだろうと判断しました。そして様々にリサーチを重ねていき、一台目は「ロールス・ロイス車しかない!」と思い至りました。ロールス・ロイスは英国の誇る高級車の老舗メーカーで、「人々の特別な思いを載せてきた」ストーリーにまさしく当てはまり、しかもロールス・ロイス社はスピットファイア機のエンジンも製造しています。
日本ではあまり知られていないようですが、ロールス・ロイス社は高級車だけではなく、防衛航空宇宙、艦船、発電、航空用エンジン製造なども手掛ける製造会社としても世界的に知られています。初めて入手できたロールス・ロイス車のエンジンシリンダーは、1982年製のシルヴァースピリット(*3)でした。
—完成した1台目は、どんな音でしたか?
素晴らしくいい音でした。深くてまろやかで包括的なのに開放的で、とても伝わってくる良い音。言葉では形容しづらいですが、良くてびっくりしたと同時に、そうであることを知っていたような不思議な感覚でした。
使用された素材はドラムをつくるためにこの世に生まれた素材ではありませんから、物凄く稚拙な酷い音がしたとしてもおかしくはない。それが何十年もドラムに携わってきた僕自身が、すっかりその音に惚れ込んでしまうような音色だった。予てから思い描いていた構想に強い確信が持てた瞬間です。
そのあとはジャガー車やベントレー車等の高級車エンジンの他、ウェスト・ピア港(*4)という1866年〜1975年に活躍したイギリスの港の甲板や、アーク・ロイヤル(*5)というイギリス海軍で活躍した歴史的な水上機母艦や、半世紀以上に渡り二万人以上の乗客を載せながら世界中を航海していた豪華客船のTSSオリンピア(*6)や、エジンバラの老舗ウィスキーメーカーのジュラ社など、イギリスの歴史を担ってきたあらゆる由緒正しい素材を入手してはスネアドラムを製作してきました。
Jura社のウィスキー樽が集められた倉庫。
ウィスキーが漬けられた樽を解体してスネアドラムのシェルを製作する
Jura社製ウィスキー樽を素材にしたProvenance Drum完成品は、
叩くと通気孔からほのかにウィスキーが薫ってくる
—演奏者から届く感想で、最も嬉しいのはどのようなコメントですか?
「自分にとって特別な存在の楽器」というコメントをいただくと本当にグッときます。もちろん素材が変わっているので、そういう意味でいえば音を抜きにしてもユニークな存在ではあると思うんですが、プロの演奏者が自身のスネアドラムに対してこのようなコメントを口にするときには、もっと深い次元での発言であることが僕にはすぐに分かります。
誤解されることが少なくありませんが、僕はなにもミュージアムピースをつくりたいわけではない。純粋に最も機能的な「最高の楽器」をつくりたいだけなんです。良い音をつくりだす素材を追究しつづけた先に、演奏者と響き合うマテリアルとして、来歴豊かな唯一無二の素材たちとの出会いがありました。
人間が長い時間を掛けて深い関係性を築き上げてきた素材が、演奏者である持ち主とさらに新たな関係性をつくりあげていきます。Provenance Drumsのスネアドラムには、素材が持つ固有番号(エンジンシリンダーのシリアルナンバーなど)とProvenance Drumsとしてのシリアルナンバーが楽器の内部に刻印されます。その表には「Remaking History」というProvenance Drumsのフィロソフィーが刻印されています。
唯一無二の素材から、唯一無二の楽器が製作され、楽器とその持ち主は新たに特別な関係性を築きながらその土台の上に無限の音楽演奏が引き出されます。凡庸な楽器でも演奏者次第で鳴り方がまったく変わってくるようなエピソードは多く耳にしますが、Provenance Drumsは楽器と演奏者が互いに響き合うことでさらに高まっていくのです。
僕はものづくりに携わる職人に過ぎませんが、ひとつひとつのスネアドラムには、歴史を重ねて文明を築き上げてきた人間の営みが引き継がれていると思います。この先も丹念に「最高の楽器」をつくり続けていきたいです。
〜 ロールス・ロイス車エンジンからスネアドラムができるまで 〜
1.エンジンシリンダーを入手
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2.シリンダーナンバーを確認(「FF623」が確認できます)
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3.溶解するためにシリンダーをカット
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4.切断されたシリンダーを溶解炉に入れていく
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5.溶解している様子
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6.スネアドラムのシェル(胴体)用の鋳造型に流し込む
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7.ロールス・ロイス車エンジンシリンダーからつくられた
スネアドラムのシェル原形
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8.シェルを綺麗に成形していきます
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9.完成されたスネアドラム
通常のスネアドラムと同じように上下にドラムヘッドが張られ、側部よりナットで各ヘッドを締めて調整して、
下部にはスナッピーが付けられる
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10.通気孔部分にオリジナルシリアル番号が刻印されたバッジが取り付けられ、世界にひとつだけのプロヴェナンス・スネアドラムが完成
1973年Rolls Royce社製・V8シリンダーヘッド(FF623)と刻印のオリジナルバッジ
*1 スピットファイア戦闘機
第二次世界大戦にてイギリス空軍をはじめとする連合軍で使用された戦闘機
https://ja.wikipedia.org/wiki/スーパーマリン_スピットファイア
*2 スネアドラム
古来は西洋の軍楽隊などで伝統的に用いられ、ドラムセットの重要な構成楽器としても知られる両面太鼓の一種。底面の膜に接するようにコイル状の響き線が張られる
https://ja.wikipedia.org/wiki/スネアドラム
*3 シルヴァースピリット
シルヴァースピリット(Silver Spirit )は、イギリスの自動車メーカー、ロールス・ロイス・モーター・カーズがロールス・ロイスブランドで1980年から1995年まで販売した高級車
https://ja.wikipedia.org/wiki/シルヴァースピリット
*4 ウェスト・ピア港
イギリス・ブライトンに位置する港。1866年に開港し、ロンドンのウェストミンスター城やタワーブリッジと並び「Grade I」の称号を受けるも1975年に閉港した
https://en.wikipedia.org/wiki/West_Pier
*5 アーク・ロイヤル
イギリス海軍で航空母艦として完成した最初の艦。1913年起工、1914年進水、1934年にアーク・ロイヤル (HMS Ark Royal) からペガサス (HMS Pegasus) に改名され、1944年に売却され1949年にスクラップとして廃棄
https://en.wikipedia.org/wiki/HMS_Ark_Royal_(1914)
*6 TSSオリンピア(MSリーガル・エンプレス)
1953年から2009年まで、スコットランドとギリシャを基点に世界中を繋いだ豪華客船
https://en.wikipedia.org/wiki/MS_Regal_Empress
河西香奈(かわにし・かな)
KANA KAWANISHI ART OFFICE/GALLERY 代表。
2006年よりRizzoli New Yorkの東京コーディネーターとして書籍編集に携わり、アーティストマネジメント・編集事務所及び展覧会企画財団を経て、2014年に独立。
現代美術ギャラリー・ディレクターとしての視点を活かしながら、出版物の企画/編集、国内外の美術館・財団・招聘機関等の通訳や翻訳を行なう。
Art Translators Collective(アート・トランスレーターズ・コレクティブ)は、アート専門の通訳・翻訳およびそれに関連する企画の運営などを行う団体。
同時代を生きる当事者として表現者に寄り添い、単なる言葉の変換を超えた対話を実現していく翻訳・通訳を目指し活動している。
http://art-translators.com/