民間の力だけで月に行く。
そんな壮大なプロジェクトが、現在進行しています。
日本で初めて民間による宇宙開発を目指している団体、HAKUTO。株式会社ispace(アイスペース)によって運営されている、民間発の月面探査チームです。
HAKUTOは、2016年3月23日にKDDIとオフィシャルパートナーの契約を結びau×HAKUTO MOON CHALLENGEというプロジェクトとして国際宇宙開発レースGoogle Lunar XPRIZEに参加しています。このようにCMも放送されているので、1度は見たことがある方も多いのではないでしょうか。
今回は、HAKUTOで主力技術者として活躍されている田中利樹氏にお話を伺いました。「自分は宇宙に行くことができないので、自分の代わりに探査機に行ってもらうという想いで開発している」。そう語る田中さんが携わる、宇宙開発の舞台裏について迫ります。
高校3年生に見たニュースが進路を決めるきっかけに
-田中さんは大学で宇宙工学を専攻されていたとのことですが、小さい頃から宇宙への憧れがあったのでしょうか。
田中:私はもともと宇宙に興味はあったわけではありません。ですが、大学受験に向けて進路を考えている時に「自分たちで作った人工衛星を打ち上げた、大学の研究室」のニュースを見て。大学の研究室という環境でも、宇宙開発に参加できることに凄く感激しました。
幸いにも、僕はそのニュースで見た研究室に所属することができ、更にその2年後の2009年には、皆で人工衛星を打ち上げました。その時は、本当に楽しいというか、なんとも言えない気持ちになったのを覚えています。
-高校時代に衝撃を受けたニュースに、自身が参加されるなんて、さぞ感動されたことでしょうね。ですが、大学や学生が主導となって衛星を打ち上げるなんて、かなりハードルの高い道ではなかったのでしょうか。
田中:実はJAXAには大学で開発した人工衛星を無料で宇宙に持って行ってくれるという相乗り小型衛星プログラムがあります。そのため、大学生でも自分が作ったものを宇宙で動かせる機会があったのです。それに仲間と取り組んでいた時が、本当に楽しくて。みんなで1つのものを作り、それが実際に宇宙に行って動いた時は本当に嬉しくて。ここで目標を達成する喜びを知りました。
万が一のことが宇宙で起こってしまったら……開発で大切なのは“嘘”をつかないこと
-HAKUTOでは電子回路の開発や探査機の熱設計をされているそうですが、「熱設計」とは一体何でしょうか?
田中:熱設計とは、機械から熱を逃がす方法を考えることです。月表面の温度はマイナス150℃からプラス100℃まで振れ幅があります。そんな状況下でも耐えられるように設計することが必要です。熱を伝える方法は対流・伝導・放射、と3つありますが宇宙は真空のため、空気を対流して熱を逃がすことができません。そのため、熱を伝導させたり、放射させたりすることになります。伝熱と放射をうまく使って、宇宙機の中の温度を電子回路が動くことができる”ちょうどいい”温度にすることが熱設計です。
月面探査ロボット(ローバー(※))の設計でいうと、熱をうまく逃がすためにはできるだけ天井面を広く設計する方が良いんです。天井の面積が大きければ効率よく熱を放射できるからです。しかし一方で、天井面を広くすると重心が不安定になってしまい、走らせることが難しくなってしまいます。要は、片方が良くても片方が悪くなってしまう。ローバーは複数の要素で成り立っているため、こういう、トレードオフの関係が開発ではたくさん出てくるのが難しいところです。
※ローバー:宇宙開発において地球外の天体の表面を移動し、探査や観測のために使われる車両。写真を参照
-田中さんが開発やローバー作りにおいて、大事にしていることはなんでしょうか。
田中:大事にしているのは嘘をつかないことですね。例えば誰かが設計したものに対して、自分が知っている範囲でダメだと思ったら意見を言います。自分が担当している箇所で不安な部分も包み隠さず共有します。「ここは怪しいけど黙っておこう」という遠慮はしません。
というのも、一度手から離れて宇宙に飛んで行ってしまうと絶対に直すことができないからです。宇宙に出たときに修理ができない部分のことを「非修理系」と呼びますが、その部分がテスト段階で100回中1回動かないという結果が出たらどうでしょう。その1回が宇宙で起きてしまったら、取り返しがつきません。クオリティにこだわるため、試験ときに問題点を洗い出してとことん議論しています。
宇宙開発の間口を広げる“情報開示”
-月面で動くものを作るためにはシミュレーションが欠かせないと思います。が、地球上では完璧なシミュレーションはできませんよね。完璧な検証ができないまま、どのように設計をつめていくのでしょうか。
田中:過去のアポロのデータや現在の衛星からなるべく情報を集めて、設計判断の材料を集めることは非常に重要です。しかしながら、我々のローバーが探査するところは、今までにローバーが走行されたことのない場所であり、完璧なデータはありません。そこで、不測の事態に備えて、少し余裕を持たせて設計します。
例えば、予測されている温度よりも余裕を持たせて耐久温度を想定したり、バックアップ機能として最初からヒーターを積んだりします。または、1個壊れてもバックアップができるようにしています。こういった「冗長系」を組み込むことで、不確定要素に対応します
-民間の力で宇宙を目指す。我々には想像もつかない困難に思えますが、なぜ、今世界中で民間の宇宙開発が盛んになってきているのでしょうか。
田中:ひとつには、情報がどんどんオープンになっていきている、つまりオープンソースが充実してきているのが、ひとつの理由ではないでしょうか。実は過去の衛星の設計データを見ることも可能です。そのような過去のデータをベースに開発を積み重ねられるというのは、今の時代の大きな特徴ではないでしょうか。
-宇宙開発はNASAであったりJAXAであったり、国家プロジェクトというイメージが強いです。一方HAKUTOは民間のプロジェクトです。国家と民間ではどのような違いがあるのでしょうか。
田中:開発していて思うのは、リスクの取り方が違うということですね。国のプロジェクトでは、当たり前ですが成功率を限りなく100%にするべく、安全性の高い既存技術でアプローチする必要があります。多くの税金が投じられているのですから、当然のことです。
一方、民間のプロジェクトでは、リスクを取る、という判断がしやすいと感じます。成功率や安定性などは当然検証しますが、一定の信頼度が得られれば、新たなテクノロジーを投入できる。国の開発では取り入れられない新しい機器や技術を積極的に採用して開発することができるんです。
地上の技術も、宇宙で応用できる。宇宙を学ぶのに遅いことはない
-宇宙開発は、多くの技術者の可能性を広げるものになりそうですね。では、これから何か宇宙関連の事業をしたいと思っている人にとって、どのような技術やマインドが必要になってくるのでしょうか。
田中:技術やマインドについては、なんでも良いと思っていますね。宇宙工学科を出て宇宙の基本を学んで来るという方法もありますし、一般企業で素養を身に付けてから宇宙開発に参加するという方法もあります。宇宙を学ぶのに遅いことはありませんよ。
-学んだ技術は何であれ宇宙開発に応用できるということでしょうか。
田中:宇宙機器の中身は電子回路なので、機械であったりソフトウェアであったりします。つまり地上でやっているアプリケーションと基礎技術は全部一緒なんです。
実際にうちのメンバーでも宇宙工学科を出ている人は、多くはいません。他のメンバーの前職はソフトウェア会社や自動車メーカーなど、バラバラです。また、宇宙といっても、例えば宇宙ステーションの中は人が住んでいるような環境ですので、地上で作っているものと共通する部分が多いこともあります。将来、月での活動範囲が広がると、例えば月に行って基地を作ることになった時に建設者が必要になると思いますし、利用される職種や技術も広がっていくんじゃないでしょうか。
編集後記
今までは遠い存在だと思っていた「宇宙」という領域が、誰でも目指せるものになったというのは印象的でした。特に、地上で得たものづくりの姿勢が宇宙でも役に立つというお話には驚かされました。宇宙開発のデータが見られる時代になった今、個人が宇宙で活躍する日も近いのではないでしょうか。
HAKUTOホームページ:http://team-hakuto.jp/